イラク戦争(いらくせんそう)

2003年、アメリカを中心とした多国籍軍がイラクへと侵攻した。湾岸戦争停戦決議で義務付けられた「大量破壊兵器の不保持」が破られている可能性が高いこと、また、サダム・フセイン大統領の圧政から一般市民を解放し、イラクの民主化を実現するというのが侵攻の理由だった。その後、フセイン大統領は逮捕され、処刑された。結局、大量破壊兵器は未だに発見されていない。米英の傀儡とも言われるマリキ大統領がイラクの政権運営を担い、アメリカ軍は駐留を続けたが、2011年12月、オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言し、アメリカ軍はイラクから完全に撤退した。


コメント数:1

  • フセインがクウェートへ侵攻したのが発端でしょう? イラクのクウェート占領を阻止するために
    多国籍軍が出兵をしたのが事実ではないですか?クウェートの石油利権を犯されるのを懸念して
    米英を中心に利権国が派兵をした。日本は憲法上の制約があるので出兵はできなかったが、莫大な
    資金援助をクウェートに行ったが、タイミングがずれたため、クウェートからの感謝の言葉もなかった。
    結果的には国民の税金が十分生かされなかった。
    大量破壊兵器が発見できなかったことで、大騒ぎをした米国の面目は丸つぶれ、フセインを抹殺した
    ことでその後のイラク国内の混乱を招くこととなり、米国はベトナム以来の外交的敗北を喫することと
    なったが、世界的世論をリードする英米のマスコミがこの点をあまり突っ込むこともなく、その後の
    アフガン戦争の扮凶につながっている。
    三橋の解説としては、ここまでの記述が欲しいですね。

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