大東亜戦争(だいどうあせんそう)
1941年12月8日、日本はアメリカ、イギリスに対して宣戦布告を行い、真珠湾攻撃およびマレー(イギリス領)上陸作戦を開始した(なお、宣戦布告文書作成の遅れにより、結果的に日本軍の攻撃は宣戦布告前に行われることになり、のちに日本軍の「奇襲」だとして非難されてしまう)。この米英に対する戦争について、東条英機内閣は「支那事変をも含め『大東亜戦争』と呼称す」と閣議決定した。のち、中華民国、オランダ、さらにはソ連が戦争相手国となる。1945年8月のポツダム宣言受諾により、日本の敗戦が決まり、戦闘は終結した。講和条約は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約。これにより、正式に戦争が終了することになった。世界史的には「第二次世界大戦」の局地戦と見なされるケースが多い。なお、戦闘終結後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)によって「大東亜戦争」の用語は「戦時用語」として使用を禁止され、「太平洋戦争」と呼ぶように呼称変更された。GHQによる強制はサンフランシスコ講和条約発効によりなくなったはずだが、その後も「太平洋戦争」と呼称される場合がほとんどである。