第62回「鎖国と資源生産性」 2015年8月13日
江戸時代は「鎖国していた」などと歴史の教科書に書かれていますが、
実際には当時の日本は清国、オランダと貿易をしておりました。
完全に「国を閉鎖した」わけではございません。
それはともかく、現実に一国家が「鎖国」を完成させようとしたとき、
その条件について考えてみましょう。
要は、国民の需要を国内の供給能力のみで満たせればいいわけです。
「国民の需要」とは、消費文化が発達し、様々な技術発展が実現した
現代という時代においては、途轍もなく多様化しています。
最低でも衣食住、さらには医療、防災、防犯、防衛(外国との接触があるとして)、
エネルギー供給といった安全保障関連の需要に加え、当たり前の話として
司法、行政、立法といった「政(まつりごと)」の需要を、自国の供給能力で
満たす必要があります。(政を外国の供給に依存するのでは、まさに属国でございますが)
無論、人間はパンのみで生きるにあらずでございまして、各種の娯楽、
文化、伝統継承、学問、教育、交通、観光、運送、通信、出版、放送などなど、
人間の多種多様な需要を全て自国の供給能力で満たすことが可能になったとき、
その国は真の意味で「鎖国」できます。
国民の需要全てを自国の供給能力で満たすためには、
例の「経済の三要素」、すなわちモノ、ヒト、技術の三つが
充分に蓄積されていなければなりません。どれか一つでも欠けると、
国民の需要は満たされないことになります。すなわち、鎖国はできません。
日本の場合は、何しろ天然資源が少ない国土という「国土的条件」を持っています。
今後、技術開発が進めばともかく、現代の生活レベルを維持する前提で
「鎖国」を実現することは、現状の国土のままではできません。
そう考えたとき、江戸時代に「ほぼ鎖国」を実現した日本は、
凄まじく「技術レベル」が高かったことになります。
何しろ、肝心要の天然資源までをも自国産のみで賄っていたわけで、
相当に「資源生産性」が高くなければなりません。すなわち、「資源1」から、
可能な限り最大の付加価値を生産しなければならなかったわけでございます。
江戸時代の我が国の資源生産性は、先進国屈指のレベルでした。
勘違いしている人が多いですが、少なくとも江戸時代の我が国は先進国でした。何しろ、
「国民の需要を、自国の供給能力で満たす」
という、先進国の定義を、ほぼ満たしていたわけでございます。
もっとも、江戸時代の「ほぼ鎖国」政策は、日本の「戦争」における
技術水準の進化を止めてしまいます。徳川家康の時代までは、「戦争」という
需要に対する供給能力までもが、世界屈指のレベルだった我が国ですが、
その後は「天下泰平」の時代が260年も続いたのです。
その間、「日本以外の先進国」であった欧米諸国は、
三十年戦争、北方戦争、大洪水時代、英蘭戦争、大同盟戦争、大北方戦争、
露土戦争、オーストリア継承戦争、アメリカ独立戦争、七年戦争、フランス革命、
ナポレオン戦争などなど、繰り返し大戦争を戦っていました。結果的に、
日本の「戦争」という需要に対する供給能力は、欧米諸国に大きく後れを取る結果になってしまいます。
そして、黒船来航。
戦争や重工業関連の供給能力が「需要」に対し不足した我が国は、
早期に技術レベルを向上させ、欧米に追い付く必要がありました。
実際、多くの日本人が技術開発や設備投資に投資し、
日本の技術レベルは瞬く間に欧米に肉薄する水準にまで高まります。
経済の三要素(モノ・ヒト・技術)を高める方法は、
設備投資、人材投資、公共投資、技術開発投資の四投資しかありません。
江戸末期から明治にかけた日本人は、実際に四投資を拡大しました。
結果、我が国は先進国に「戻りました」。
当時の「一時的に先進国ではなくなった日本が、再び先進国に返り咲く」ための
技術・設備投資の遺産こそが、先日、世界遺産に登録された明治産業革命遺産なのでございます。
経済と歴史は、不可分の関係にあることが分かります。
今週も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
読みずらいので(レポート)ではなく音声に変更してほしい!
わかり易く、頭にすっと入りました、有難う御座います。
平和が長く続くと軍事的な進歩が止まるということ理解できました。
日本のこれからの安全保障が心配。